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SilverLilyの パワ&ポジ☆ゆるるん日々記

SilverLilyの パワ&ポジ☆ゆるるん日々記

出産

注意!!
ものすごくリアルな表現があります。
赤裸々です。
度胸のない方は閉じてくださいね。


さて、2003年10月19日。
予定日を明日に控えていたけれど、
先生がまだっていうんだからとすっかり気が抜けてのんびりしていた。
久しぶりに婚家に帰り、
抜けるような青空の下ぶらぶらと散歩した後で
義母特製の味噌ラーメンを食べているとき。
ふと、今日はなんだかいつもよりお腹が張るなぁと気がついた。

でも、経験者たちは口を揃えて
「陣痛は、来たら絶対にわかる。」というので、
私はそれを単なるお腹の張りだと片付けた。
それに私はずっと張り止めの薬を処方されていたほど
張りやすいということもあるし。

その後、近くのモールに寄り、実母の誕生日のプレゼントを購入。
買い物をしていて、時折激しい痛みを感じるように。
で、時間を計ってみたら、間隔は15分くらい?
それでもなお、「いやぁ、今日はよく張るなぁ♪」とのんきだった私。

実家に帰る(里帰りしてた)と、皆が
「帰ってきてもいいから、入院の支度をして病院に行け」
と主張するので、
夕ご飯(ほうとう鍋だった)の支度を途中で止めて、
病院に連絡をして、入院バックを用意し始めた。

大体は準備していたんだけど、
日常使っているもの(化粧品類)とかまだだったし、
不安になったので、結局カバンから全部出してイチからパッキングしたのだ。
(心配性だからね)
その間、張りの痛みは激しくなっていく。
時間を計ると10~15分おき。
休みながらだから中々準備が進まず、
結局家を出たのが5時半過ぎ。

途中、コンビニに寄っておにぎりやら飲み物やらを買ったけど、
おにぎりは一個食べるのが精一杯。
約40分の道中、後半は「病院、まだ??」と分かっているのに繰り返していた。
この頃には、これは、紛れもなく陣痛だ!!と自覚(遅い)していた。

着いてから波が収まるのを待ち、病院へ。
2階の分娩室横の診察室で助産師さんが子宮口の確認。
5センチ開いているとの事で、即入院決定。

一人部屋を希望していたのだけれど、あいにく二人部屋しか空きがなかった。
相部屋は、日系3世のブラジル人。
日本語を話せず、帝王切開、マタニティブルーというすごい状態の方だった。
で、ずっとポルトガル語のビデオを大音量でかけていた。

こっちは、陣痛の波を逃すのに必死なのに!!
ウルサイ!!と言う余裕はなかった。
多分、言っても通じなかっただろうケド。
それに気の毒で言えなかった。
あの、恐ろしい帝王切開を体験している人なのだもの…。

分娩着(ピンクの水玉ネグリジェ)に着替えて、
NSTをつけて、ベッドに横たわった。
楽な格好していいわよ、と言われたけど、
そんなに体勢を変えられず、ベッドの上に座るか、寝るかのどっちかだった。

病院には相方の他に叔母が付き添ってくれていたのだけれど、
最初の診察で明日朝6時頃ということだったので、
病院の鍵が閉まる9時に帰った。
そこからは、私と相方だけ。
とりあえず、邪魔者はいない。

隣がそんな状態だから、
看護婦さんが早めに陣痛室に入っていいからねという声をかけてくれていた。
叔母が帰ってから1時間くらい耐えた後、
痛みとポルトガル語のビデオに我慢できなくなり、
相方に看護婦さんを呼んできてもらって、
看護婦さんと相方に半ば引きずられて陣痛室に入った。

とにかく暑くて汗がダラダラ流れていた。
陣痛が来ている間の記憶がない位、痛いっていうか、苦しいって言うか、
とんでもない感じで、波が治まると水分補給するのがやっとだった。
今度の波が着たら、「やっぱり無痛にしてって言おう。」
とずっと思っていたのだけど、いざとなると水を飲むので精一杯。

私はずっと馬鹿正直に、
最初病院に来たときに言われた「明日の朝六時」を信じていたから、
まだ8時間もあるよ~!!って悲鳴を上げそうだった。
そして、今コレくらいだから、
きっともっともっと痛くなるんだ、
こんなもんじゃ済まされないんだってずっとビビっていた。

明日の朝6時のはずなのに、何故か夜10時頃、分娩室に移ることになった。
やはり、相方と助産師さんに抱えられて、よたよたと。

分娩台に横になると、私はふと、タオルがないことに気がついた。
「タオル!!あの、ピンクのタオル!!早く取ってきて!!
 アレがないと、産めないんだから!!」
と相方に怒鳴った。
私は普段ピンクのものなど何一つ持たない。
なのに、子供が女の子だから(一方的な思い込み)タオルはピンクがいいと
入院グッズに入れたもの。
子供のためのもののはずなのに、
なぜ私が使っているのかわからないけど、
とにかくその時はそのタオルが無くっちゃ出産できない
というわけのわからない強迫観念に襲われていたのだろう。

相方はあわてて陣痛室まで取りに行った。
(すまんのう。)

私の出産までの思いって、
とにかく
「明日の朝6時までなんて我慢できない。
次の波がおさまったら、無痛にしてもらう。」
だったような気がする。

看護婦さんや助産士さんに励まされても、
「またまた~。朝6時までそうやって私をだますつもりね!!」と思っていたし。

ところが、というかやっぱりというか、
助産士さんの言うことのほうが正しいわけで、
今もって何故に「明日朝6時」に固執していたのかわからないのだけれど。

10:30分頃、人工破水。
とっくに破水しても良い筈だったのだけれども、
私の場合、卵膜が必要以上に厚くて丈夫だったのだそうだ。
・・・卵膜褒められてもネェ。
助産士さんがしてくれたんだけど、
なかなか破れず、当然ながら痛かった。
陣痛も痛かったけど、これも痛かった。
で、バッシャーンと何か生暖かいのが体からでた。

この頃には子宮口は全開で、
陣痛のペースとかから見ると生まれてもおかしくなかったらしいのだけれど、
ここでペースが停滞。
私は無痛で、と依頼するよりも
「今日(19日)は嫌。産みたくない。
 どうせ休日手当てと夜間手当てを払うんだから(いやに現実的)、
 絶対に20日に産みたい。」とか
「(まだ先のはずなのに今日になったのは)私がジャスコデーが好きだから。」
とか(当時19・20がジャスコデーだった)馬鹿なことばっかり口走っていた。
月が違うといえども、
義父と同じ日にちに産むなんて冗談じゃないわ!!だったんだけど。

助産士さんは
「お母さんの希望なのね。」
とか
「お母さんのことを考えて、おなかにいようってがんばっているのよ。」
とかやさしく励ましてくれた。

私が「痛い」といえば、
「そうだよね、痛いよね。わかるよ、がんばって。」だった。
ここで
「痛いのはみんな一緒よ!!」などと言われていたら、
がんばれなかったかもしれない。
とにかく私にベストの助産士さんだった。
次もぜひ彼女にお願いしたい。
(先生なんてちょっと登場するくらいだもん。)

いよいよ全く出てこなくなって
11:30頃、隣の分娩台で緊急帝王切開の準備が始まり、
他にも産婦さんが3人くらい産気付いたらしく、いよいよ先生登場。

一番最初は、助産士さんが私に馬乗りになっておなかを押す。

次は、先生が馬乗りになって私のお腹を押す。

私は苦しくってそれどころじゃなかったけども、
立ち会っていた相方いわく、
30センチは腹がヘッコンで、
「あんたたち人の嫁の子供を殺す気か!!」と思ったらしい。

それでなにがどうなったかわからないけど
再びお産が始まり・・・、
呼吸法は、手を握りながら助産士のリードを受けた相方のリード
(なぜか相方の声しか聞こえなかった)を受け、
でも上手だと褒められた。
助産士さんは褒め上手だった。

で、先生が「少し切るからね~」で会陰切開。
チョキン、チョキンというシャッキリとした金属音がはっきりしましたよ。
でももちろん、全く痛くなかった。
それよりも陣痛の苦しさというか、痛さのほうが上だった。
「あ~足りないな。もう少し切るよ~。」で結局4箇所切りました!!
切ること自体はそれどころじゃないんでいいんだけども、その後がねぇ。

結構がんばったんだけど、
吸引も駄目で、
私の負担がそろそろ限界で、いよいよ帝王切開になりそうに・・・。
でも、帝王切開の前に鉗子を試そうということになった。
私は見ていないがこの器具を入れるのが痛かった。
思わず
「痛い!!!(怒)」と言ったほど・・・。
でも、おかげさまで帝王切開になることなく、
にゅるんというかなんというか、すっごい爽快感とともに赤ちゃんが出てきた。

相方いわく、本当は12時ちょい前だったような気がするとのこと。
だとしてもどうしても20日、
といった私の気持ちを汲んでくれた先生の気持ちが嬉しい。
それに私が時計を見た時はぼやけてはいたけど12時は絶対に回っていた。

コンタクトをしていない私は、あんまり良く見えなかったんだけど。
ホゲホゲと元気に泣く赤ちゃんの足の間には、なんと!!
たまたまがしっかり付いていたのでありました。
すっかり女の子の気持ちだったので驚いたけど、
不思議とがっかりという気持ちはなかった。
赤ちゃんはへその緒が切られると、
直ぐにタオルにくるまれて私の隣にやってきた。
ガッツそっくりで、
お世辞にも天使のような赤ちゃんってな赤ちゃんではなかったと思う。
だけど、この世の中で一番かわいい赤ちゃんだと思った。
一応、そこで初乳を咥えて、というか舐めた。
生まれて直ぐなのに、おっぱいを捜すんだからすごい。
彼は何とか咥えたんだけど、肝心のおっぱいが出ない。
看護婦さんが無理やり絞って(すごく痛かったです)出た白い液を、
赤ちゃんは舐めた。
小さいけど、手も足もちゃんとあって、指もちゃんと5本づつ。
五体満足で生まれてきてくれて、
それだけでとても感動して、嬉しくて、たまらない気持ちになった。

ちょっとすると赤ちゃんは相方と一緒に処置室につれられていき、
相方は、私よりも先に赤ちゃんを抱っこした。
私は抱く、っていうより、腕枕して添い寝、って感じだった。
で、体を拭いて、身長体重を測って、下着を着せられて赤ちゃんは新生児室へ、相方は私の部屋へ。

後産は、あまり痛みは無い(っていうか記憶がない)。
ただ、ぬるっと何かがでてきて、爽快感っていうのは赤ちゃんと一緒。
私の胎盤は卵膜と同じくすごく丈夫で、後2週間赤ちゃんが入っていても大丈夫なほど良い胎盤だったそうだ。
先生は、「標本にしたい!!」と言っていた。
・・・胎盤褒められても。標本もちょっと。

会陰縫合は、痛かった。
麻酔をしてもらったんだけど、痛かった。
腰に力は入らなかったけど、腰引けてたもん。
足もがくがくぶるぶる震えてたし。

分娩台で2時間くらいぼおっと休んでいると、
陣痛室から陣痛に耐えかねた方の叫び声やらうなり声やらが聞こえて、
私のために用意したのかと思っていた隣の分娩台にて帝王切開が始まったり。

私はてっきり車椅子で運んでもらえると思ったのだけど、甘かった。
助産士さんに支えられ、ふらふらになりながら自室に歩いて戻った。
相方も歩いて戻ってきた私に驚いていた。
でも普通は何の問題もなければ歩くのだといわれて納得したけど。
最初のトイレの時は教えてね~と言われたが、
最初のトイレなんて当分出そうに無い上に、
だってなんか怖くてできないよと思った。(笑)
そこで帰ろうとする助産士さんを引きとめ、
お腹がすいたから何か食べていいかと聞くと、
笑いながら何でもいいといわれた。

が、冷蔵庫には飲み物と、相方用のどでかプリンだけ。
隣にコンビニはあるけど、買い物に行くには鍵を開けてもらわなければならない。
なので、遠慮なくプリンをあ~んとしてもらって食べた。
いつもなら、「○(相方)も食べなよ。」と必ず言うんだけど、
この日だけは黙って一人で全部食べた。
もちろん、彼もクレームはなし。
だってお腹がすいたんだもん。

部屋に戻ってからはずっと相方が手を握っていくれて、
しきりにありがとうと言われた。
二人で感動してハイになっていたのだと思うけど、
その日は朝まで眠れなかった。

とにかくよく晴れた秋の日、
相方は父親になり、私は母親になり、
かけがえの無い息子が私たちの元にやってきてくれた。



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